「芸術の秋」は多忙の中で観に出かけるのが楽しみである。

予定のチケットは1ヶ月前に幾つかの劇場やホールや美術館のチケットを、購入しているから「楽しみ」なのです。

個性的な企画は、飛行機や新幹線や船に乗り、在来線に乗って行く「美術館への小さな旅」が好きである。

都市の美術館は、郊外の美術館に行く楽しみ度が少ない 。
静か池や森の中、美術館の建築の美しさを味うロケーションも芸術を楽しむ中で重要な要素となる。

ゆえに美術館側は、来館者の争奪をあからさまに行ってしまう。市中のギャラリーに足を進めると美術館の「企画展」の招待券が100枚近く無造作に置いてあるのが「武生の眼」に入る。

美術館の「魅力的なコレクション」を愛情をもって観せる努力をすれば、全国から海外から「観に来ますヨ」。

「来館者数だけ」を目的とした「企画」が多いことも含め、自信ある「誇れる企画美術展」であれば沢山の方が来ます。

招待券を大量にばら撒く「強制的動員」の美術館には行きたくない。「招待券の数」で「多くの来館者」だったという後進的な展開は「文化を壊す原因の一つ」と思っている。

 「美術館の企画展は、有料チケット数で評価される」

公共美術館の有様が問われる。定期的な「無料鑑賞日」を設置し「愛される美術館」をいつも期待している・・・・・・。

招待券を頂いた場合は必ず観に行く。けれども、原則は  「チケット購入」を貫いている。

企画の成果を問うなかれ、担当学芸員の思い入れを、強く大きく感じて「観にきて好かった」といつも涙する。

そして、その感動を1行の短文で「ありがとう!」と感想ノートに記して帰ることを心がけている。

時間があれば「感想ノート」に書かれた、同じ思いで感動を受け涙した来館者の文章を読むことによって「美術館の小さな旅」の喜びが倍加する。

       アートウオッチャー    池俣武生

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Minority report

○版画家判治氏のイギリス留学後の作品に大きな興味を抱き、帰国直後に「作家をお迎えして」のトークを企画進行することになる。

従来の作品は、「大地の生」を神秘的に表現し続けた銅版画「植物記シリーズ」と比し、大きな変化をみせる。3回行われた作品を上に示す(んコレクション)。

2005年の横浜トリエンナーレへ作品出展を総合デレクター川俣正氏に紹介するが叶えられなかった。

2007年ハンガリー美術館から作品展の出展の依頼があり、2008年7月、同ハンガリー美術館からワークショップの依頼を受け3週間渡欧する。

シンフォニーN05 2005
判治佐江子

  換気口  2008 判治佐江子
芸術の原風景を観て見る。劇場や美術館や野外展示へと足を進めなくては文章が書けない、けれども、作品を観ないで、チラシ情報だけで批評文を書いてしまう達人(書き手)がいる。これらは一見して、デスク文章とすぐ察し出来得る。リハーサルを観て書く文章と本ステージの臨場感から受ける感動を文章化することでは大きく違ってくる。

「装飾文がアート批評文」になっていないか、気になる一人である。現代美術作品や演劇としてのパフォーマンスは1回だけの上演のものが多くなっている今 私は、 この場で「書き手の顔」を見る事がない。

個々の作品は、見るけれども「アートの森」を観ていないアート批評。アートの淘汰はここから・・・・

                 武生