| ←BACK NEXT→ | 私が画家・筧 忠治と出会ったのは銅版画教室だった。彼は、自画像的四天王を描きたかったと思う。いつも私は、彼を鬼の忠治と呼んでいた。
私と筧忠治は下方にある。 池俣武生 |
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| 筧忠治と私 1 | |||||||||||||||||||||||||||||
| 生誕100年 座談会 「筧忠治を語る」 12月23日 尾西生涯学習センター |
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筧忠治の自画像 |
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| 名古屋栄ナイトギャラリー 人人 筧忠治コレクション展 |
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| 13年間筧忠治絵画教室を主宰した。教室終了後、私が自宅にお送りすることが多かった。筧宅に行き、光子婦人の御点前を度々頂いたこともある。また筧忠治さんは「同じ本を2冊買ってしまったよ」と言って蔵書印付きの本を何冊か頂くことになる。これは、その一部。彼は、美術書などの在庫が豊富で熟読型。 | |||||||||||||||||||||||||||||
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1999年9月 名古屋市東区東生涯学習センターにて講演 |
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| 「んっ」は武生のサイン
私は小料理屋などで好きな「芋焼酎」のボトルをキープする。その時の「サイン」は「んっ」である。 全国に「私の芋焼酎マップ」がある。「んっ」サインのボトルは、全て武生のお酒であることを意味している。 筧 忠治さんとのお付き合いは20年あまり、筧デッサンの魅力というか絵コンテを打ち込む時の形相は、凄味があった。被写体を見て首を右に左に振りながら三次元的な1本の線を書き込む際、お腹から発する集中の気合が「んっ」である。徐々にこの「んっ」の気合が私に乗り移ってしまう。 一度乗り移ったものは離れはしない。いろいろな場所に遭遇してサインする時に記す「んっ」は武生そのものとなる。 筧忠治の顔を描き、筧忠治のモデルをした私は、今回顧をもって「自画像に没頭した「鬼(心の)の忠治」を執筆中。 日本の「美しい文字「んっ」は私だけのものとなった。 |
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1981年から13年間自由が丘の寿司屋さんの空き家を借り、筧忠治さんをお招きし、絵画指導を開始する。 生徒は、病院勤務の医師及び職員 また、近隣の高校の教師など6〜7名で進める。 家主の寿司屋には、月に一度集合して会食をした。このなかで、筧忠治の絵に対する執拗なまでの情熱を聴くことになる。 |
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| 筧さんのお手伝いした後に頂いた銅版画作品 「栗」 円形の銅板は私がすべてカットすることになった。 |
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| 一宮市 美術館 三岸節子記念美術館 筧忠治展 2009年10月9日 | |||||||||||||||||||||||||||||
筧忠治作品「猫」